「コーヒー好き」を自称する人達が気持ち悪い理由

Twitterのプロフィール等で「コーヒー好き」と書いている人を見ることって多くないですか?少なくとも「コーラ好き」とか「ハンバーグ好き」とか書いている人より多くないですか?

コーヒーはいつから「ウンチク」を語りたくなる飲み物になったのか(旦部 幸博) | 現代新書 | 講談社(1/3) gendai.ismedia.jp

こんな記事がはてブ人気エントリーに入っていてウンザリしたので「コーヒー好き」の気持ち悪さについて語ります。

(なおこの記事における「コーヒー」の部分は「映画」「ワイン」「自転車」「ラーメン」など貴方がなんとなく鼻につく趣味に適宜読み替えてもらっても成立します)

自分の趣味嗜好を高尚なものだと思っている

最初に書きましたが、Twitterのプロフィール欄に「コーヒー好き」と書いている人は「コーラ好き」と書いている人よりやたら多いです。

実際にプロフィール文字列が検索できる「ツイプロ」で数値を出してみました。(2018/11時点)
コーヒー好き:2197件
コーラ好き:296件

これはコーヒーがコーラより大人気ということでしょうか?そうではないと思います。彼らはコーヒーが高尚なもので、書くに値すると思っているから書くのです。
しかし実際にはコーヒーなんてただの大衆飲料です。健康に良いとかの観点もあるかもしれませんが、それで言ったら「納豆」でも「ヨーグルト」でも健康に良い食品は大量にありますがいちいちプロフィールで主張する人はコーヒーほど多くありません。
このただの嗜好でしかない飲料をより高尚だと思っているところがまず気持ち悪いところです。

趣味思考をパーソナリティと勘違いしている

こういう人達はただの嗜好でしかない「コーヒー好き」が自分のパーソナリティやアイデンティティの一部だと勘違いしています。その為、自分の価値を高めるためにコーヒーについて他人よりより上に立とうと日々努力します。
その結果、上記記事のように

歴史を知っているのと知らないのとでは、コーヒーのおいしさの感じ方が違ってくるのです!

というような周囲から見たらオカルトみたいなことを語りだし気持ち悪くなります。 「コーヒーの歴史を語りながらコーヒーを飲む人」と「楽しい世間話をしながらコーヒーを飲む人」のどっちと一緒にコーヒーを飲みたいかと言ったら後者ではないでしょうか?
その道に磨きをかけすぎると周囲から引かれるのは一般的なことで、コーヒーにも平等に当てはまります。
アニメオタクがアニメオタク以外から気持ち悪がられることを考えれば、同様にコーヒーオタクも一定のレベルを超えたら気持ち悪いのは当然でしょう。でも彼らは自分の趣味が高尚だと思っているのでアニメオタクとコーヒーオタクが一緒だということに気づきません。

これは「ラーメン好き」の例ですが、趣味をアピールしすぎた結果他人から白い目で見られるという良い例です。

増えるうつ病ラーメンブロガー 「ラーメンと人間関係に疲れた」 | MOGU2NEWS mogumogunews.com

『ラーメンぐらいであんなに得意になれるって終わってる』

たかがコーヒー飲むのに歴史がどうとか言いだすのも同じではないでしょうか。

ヒエラルキーとマウンティング

ただの大衆飲料や娯楽を趣味にして高度に体系化しようとする人が増えると、一定割合で他人を下に見てマウンティングしようとする人が現れます。
これはコーヒーにおいてはあまり顕著ではありませんが、「酒好き」が「○○歳なのにチューハイなんて」といったような酒マウンティングをしているのはよく見かけます。また「映画」などもただの娯楽なのに気軽に論評できない空気を感じませんか?
このように趣味の内部でヒエラルキーを作ることにより一般人を不要に遠ざけます。

趣味嗜好に貴賤はありませんから「○○好き」なことは本来問題ありません。ただ逆に、趣味嗜好に貴賤は無いのに「○○好き」を高尚な趣味と勘違いしている人は気持ち悪いのです。

珈琲の世界史 (講談社現代新書)

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